未読の本棚

madamemidori2003-06-11

私と王子には引っ越すときの条件がひとつずつあった。

緑:  リビングに巨大本棚とPCスペース
王子: 自分の部屋v(ギターとレコードとPCのおけるスペース)

これを無事クリアできる部屋を見つけたときはそりゃあもう嬉しくて。
で、約束通りお互いの要望を果たし、リビングには恐ろしくでっかい本棚が設置されました。

とはいえ、私は読書家といえるような人間ではありません。
どっちかっていうと、紙中毒?(活字ではない。紙に印刷されてるものなら写真でも絵でもいい。)いや、パソコンであっちこっち観るのも好きなので紙とも言い切れない。。。。

そう、読み物、見るものなら何でも好き。食事中でもやめられない(行儀悪し)。
レストランなんて行くと、会話しつつも、そこにあるメニューの能書き読んだり、ドレッシングやしょうゆの原材料名でもいい。(変態)
とにかく、読み物(or見るもの)なら何でもいいのだ!

さすがに、小緑にも同じ癖があるのに気付いたときは焦ったが。。。。。(レストランの机の上の小さいメニュースタンドを、邪魔だろうと思ってよけてあげたら、「読んでたのに!!」と怒り出した。)

そんな私は際限なく本を買ってしまう。普通の書店では、さすがに高いのでまだ歯止めが効くが、某チェーン古書店なんて行った日には大変なことになる。二冊で100円デーなんて、ホントに。。。

で、未読の本がどんどんたまっていくんだな。。。本棚に。

どうしても読みたくて買った本は別にして、「偶然に」買った本はすぐに読まない。しばらく寝かす。「偶然に」買った本というのは、大抵、

*自分が小さい頃に読んで面白かったので、小緑のために本棚にストックしといてあげる。
*自分が小さい頃に読みたかったけど、機会を逃して読めなかった本を、大人になった今、手にいれる。

という感じだ。
本が好きでない人には信じられないだろう。読むかどうかわからない本で場所をとるなんて。お金の無駄使いと思うかもしれない。

私にとって本というのは読書とはまた違う位置づけがある。
精神安定剤のようなもの?
そこに本棚があって、大量に未読の本があるだけで凄くしあわせになれる。

私は3人兄妹の末っ子だ。
長男は七つも年上で、姉は三つ上。
母は決して教育ママごんではなかったし、特に読書好きというわけではなかったようだけど、いっぱいいっぱいな生活の中でも、子供に着せる服と食べさせるおやつ、文化的なものを与えることには無意識に気を配っていたように思う。

映画も、音楽も、本も、洋服も、おやつも、今思えば当時にしてみれば特別なものばかりだった。
ほとんど父親不在な家庭で、良くやってくれたものだと感謝したい。

そんなうちの本棚は、狭い3DKの公団住宅の玄関の横の物置きの中だった。
狭い家の中で、子供3人の机と2段ベッドで、本棚なんて置き場所はなかったから。
だから私はいつも、家に帰って、別段することがないときは、玄関に座りこんで物置きの木の扉を明け、40ワットの暗い電球の下で読む本を探した。

その本棚は、背が高い木の本棚で、奥行きがあるので文庫などは前後に二重に置いてあった。家で一番幼い私には、まだまだ読むには難しい本がいつも沢山あった。
普通は子供の成長にあわせて本というのは増えていくものだけれど、うちには7つ上の兄がいたので、それこそ「読年齢」なんて関係なく、ランダムに本棚には本が並んでいた。読めない漢字がいっぱいあっても、そこにある挿絵、表紙の手触りに憧れ、一生懸命見ていたのを今も思い出す。
私にとって本は字がいっぱい書いてある紙ではなく、未知の世界への扉だった。
読めない漢字はまるで呪文のようで。本から立ち上るカビ臭さまでもが、その世界が現実にあるような気にさせる要素だった。

幼い頃は、小学生になった兄が園時代に、園から配布されていた「こどものとも」を、全部!出して来て、かたはしから読みあさるのがブームの時があった。一冊一冊は薄いのに、中には素晴らしい世界が広がっていて、大好きな絵本だった。姉と私では、好きな本がそれぞれ違い、姉は「ぞうくんのさんぽ」、私は「ゆうくんのミキサーしゃ」が好きだった。みんな共通で大好きだったのは、(知らない人はないと思う。万が一知らない人、いますぐ本屋に行って買って下さい)「だるまちゃんとかみなりちゃん」。

これなくしては絵本は語れない。絵を隅々まで楽しむ、ということを満喫できる。
ある日、空から落ちて来たかみなりのこどもを助け、仲良くなっただるまちゃんが、お礼にかみなりの国へ連れて行ってもらえるのだが、そのかみなりの国の描写がたまらなく好き!!!!全てのものに「ツノ」がついている。
この作者の「かこさとし」さんの絵本はどれも大好きで、「こぐまちゃんのおべんきょう」シリーズだとか、「からすのパンやさん」だとか、どれも各家庭に一冊はあって欲しい名絵本です。懐かしい昭和の香りのする絵本が、現代っ子の小緑にも面白いらしい。

いかん。。。絵本語りをはじめるととまらない。。


兄の読書は私とはまた違った。
やはり性別の違いか、シートン動物記やファーブル昆虫記を愛読していた。(わたしはドキュメントものはてんでダメ)
そういえば、お世辞にも本好きとはいえない王子も、シートン動物記の「オオカミ王ロボ」の話になるととまらない。昔語りをはじめるおじいちゃんのように。。。。

中学時代には「太宰治研究会」なんてネクラな会にも入っていたような。(当然本棚には太宰治夏目漱石芥川龍之介なんかも当然)
そしてつい最近知った衝撃の事実では、兄は「指輪物語オタク」だった。。。。

なんでよ?あたしは家で見かけなかったぞ?だから指輪は読み損ねている。ナルニア国物語ゲド戦記を読み損ねているので目下集めている最中だ(いつコンプリートするかは謎)。先日となりの施設のバザーで、ゲド戦記の2と3を50円で手にいれたのは嬉しかった。

姉はまた私たちと違って、漫画好き。
漫画には困らなかった。今でも「王家の紋章」を集めている。面白い漫画はいつも姉から。


小緑には兄妹姉妹がいないぶん、私が一緒に読書の世界を楽しむ必要があるようだ。
だから未読の本棚を充実させるのは小緑のためでもあるってわけです。

さて話戻って。



その後成長して、漫画を読むようになって、娯楽としての読書を覚えても、やはり本から得られる独特の感覚には変え難く、本、漫画、雑誌などを乱読した小学生時代。

だからうちでは「漫画ばっか読んでないで!!」と言う小言はなかったように思う。覚えている限りでは。
だから今、小緑がドラえもんに熱中していようが、あさりちゃんを読みあさっていようが、次の瞬間には本棚とソファの間の隙間の30センチのところに入りこんで、本棚にある絵本、本を片端から読みあさっているのを見ると、

ああ。。。同じ血だ。。。。。


と思うのでした。
そうそう、「隅っこ」というのも、楽しい読書の大事なテーマです。
子供は隅っこがおちつくらしく、何か集中したいときは必ず隅っこに陣取る。

あんな広いスペースがあるのになんでそんな隅っこ。。。????

と思うのですが、やはり本は秘密めいたもの。
隅っこで誰にも邪魔されずに浸りたいのです。
漫画はおやつを食べながら食卓で。が最高に楽しい読み方だけど。

それとね、いくつになっても「読みきかせ」は楽しい。
最近手にいれた「奇岩城」。

これは兄が、私が小学二年生のときに、ぜんそくで入院している時に見舞い代わりに買ってきて、病院のベッドの上で仰向けにして「読みきかせ」してくれた本。

今もあのときのワクワク感がずっと忘れられない。読書には、そういう読書したときの背景みたいなものも一緒について回る。

だから今、朝ご飯のときや、気が向いたときには、小緑に読んでやる。
ちょっと難しいかな?と思うのだけれど、食い入るように聞く姿、わからないと質問する姿を見ているとやっぱり読書の楽しさをちゃんと知ってるのだなとホっとする。

そしてヒマさえあれば、「続き読んで〜」と持ってくるので、嬉しい。

なんだかズレてきたけど、ついでに日頃思っていることを書いておこう。