つかれた

ときどき、すごーく疲れるときがある。


普段はテンション高く、元気に生きているんですが。
ふとしたときに、「もう力でない。。」と思う瞬間がある。


たとえば。
忙しい夕方、夕食の支度を終えて、駅まで王子を迎えに行ってやろうと思う。
準備万端なのに、いざ迎えに行こうとすると、こみどりに反抗される。

「今おもしろいのに〜(TV)」

それでも気力のあるときは、「行かないなら留守番、行くならさっさと靴はいて」

といえる。子どもが親に従うのは当たり前であり、余裕があれば仕事帰りの父親を駅まで迎えに行くのは家族として当然じゃないのか。

でも子どもだってみたい番組があったり、遊びが乗っているときもある。
そういうときに本当に親の独断で遮断していいのか。


。。いいんだろうな。

子ども時代なんてそんなもんだ。
だいたい、子どものあれやりたいこれやりたい、今これやってるから、あれの最中だから、っていう「理由」をまともに聞いていたら、きりがないのだ。
彼等、彼女たちは常に「何か」に没頭しているのだから。



でも、ときに子どもに言い聞かせたり、叱ったりするのが極端に面倒になる瞬間ってないですか?
ひとこと、「行かないなら留守番してなさい」と言い放てばそれで済むだけのことなのに、それがいえない。
こどものブーイング(たいして意味をなしていない)をどうしても聞きたくないときもある。
いつもいつも「しっかり言い聞かせるいい親」なんてやってられないのだ。」

親だって疲れるんだ。

それに王子だって迎えにいってやれば確かにご機嫌だけど、どうせ家に入った途端にPCやりながら(しかもヘッドフォン耳にさしたまま)生返事しながら夕食食べるのよね。
一応おいしいとはいうけどさ。あっちの方向いていわれてもね〜。
こみどりだってTV見てるし。うちは大概みんな行儀悪いので「ながら」が多い。


家族だんらんの食事、なんていわれるけど、うちは一緒のテーブルについているだけで、それぞれが自分の好きなことにばらばらに没頭してる。
不思議な家だ。

みんな幸せならそれでいいんじゃないかと思いつつ、会話のはずむ食卓なんていうのにも憧れるときもある。

まあ、いろんなことをひっくるめて、かなり妙な家庭環境であることは確かだ。

もう7:23だってのに、夕食を食卓に並べる元気がないときもあるんだ。

これって「フテクサレ」てるんですかね?

ちなみに今日のメニューはなすのはさみ揚げ。