時に凹む

ぼやき板に、胃が痛くなることがあって凹んでると書きましたが。
いつまでも鬱々としていても仕方ないので。

小緑のことなんです。

いつも、いい話しか聞いてないオンラインの皆様や、学校や、ハキハキとした小緑しかしらないお母さん方には「小緑ちゃんはしっかりしてて何も心配することなくていいわねえ」
などといわれるんですが。

うそうそ、悩みまくりなんです。

あの子は、「極度のはずかしがり」。

よその子で、誰かれかまわず、ハキハキしゃべったり、ものおじしない子と見ると、本当にいつもうらやましい。
フツーの子が、なんでもないこと、(たとえば、近所の人にあって挨拶をかわす、何気ないことにアリガトウがさらっといえる)があの子には凄くハードルが高いらしい。

わからなくはない。いつかも、自己紹介で「私は人見知りなんで。」というとかならず「うっそー!」と突っ込まれると書いたけれど、私も子供の頃、近所の人にあいそうになると避けてみたり、目をあわさないようにしたり。「お前はコミュニケーション障害かっ」とつっこみたくなるような恥ずかしがりでした。
それでも、大きくなるにつれ、このままじゃいけない、このままじゃいけない、と自分を変えていった結果、

「おおへいな人見知り」になってしまった(王子談)。

恥ずかしいのを乗り越えたい、でも恥ずかしい、結果、「ぶっきらぼう=大柄」になってしまったのね。
(自己分析)

まあ、そんな経緯を歴史に持つくらいなんで、小緑のはずかしがりも大目に見てきました。

それに、不思議なことに、彼女の恥ずかしがりは、「甘え環境限定」

甘えさせてくれる誰かがいるときだけ出るの。

だから、学校や、遊びにいった先のおうちなどでは、

「どこの子?』というくらい猫をかぶっている。

「しっかりした小緑ちゃん」らしいのだ。

が。甘えられる対象がいる場合に限ってなぜか。
「ママ言ってよ。。。」
じゃあ。さすがに嫌になるってもんです。
自分の希望くらい自分の口でいいなさいっての。

ジジババがいるとき、自分を甘やかしてくれる対象がいるときは、もう駄目駄目。

でもさすがに七歳にもなってさあ。。。
許せません。

結局、昨日に限って。

アタシは周りの迷惑かえりみずに、ガンとして聞き入れませんでした。(代弁行為を)

何が嫌って、恥ずかしいから代弁させるだけでなくて、自分の希望を押しとおすために、ゴネたおすっていう(それもシクシクなくという戦法で)態度に、「恥ずかしがり」を通り過ぎて「小狡い」っていうのが目について腹が立つやら悲しいやら。

怒るっていうより悲しくなりました。
大目に見た結果、彼女が「努力を捨てて、甘えに走った」というのが。
善かれと思っていたことが逆の結果に出たというのが。

がっかりしました。

結局さ、王子に徹底的に言い聞かされて仕舞いには
「ママ、ごめんね」とくることになるんだけど、今回ばかりはいいよといえず。
というより、自分のこれまでのやりかたがまずかったんだろ、(その場で諭すことをせず、許してきた)っていうのがあって、怒るわけにもいかず。

ときどきこうやって闇の中に放り出されるのも子育てなんだよねえ。。

でもって結局、「あいさつぐらいきちんとできる子にしつけなあかんよー。どこそこのなになにちゃんは、いつもはきはき気持ちよく挨拶してくれてねえ〜」という王子の母親のなにげない説教とか。緑父の。「これだからひとりっこは」という決め台詞まで思い出して。

「レッテル張ればいいと思いやがって!」ってむかむかとまでね。(凹みが逆エネルギー=怒り=やつあたり に。笑。だめじゃん)

確かにね、親のしつけのせいでわけわからん子になっちまってるこもたっくさん目につくけどね。

電車でも何でも、さわいでるガキをみちゃあ、

「親のしつけが」としった風な理論を展開するわけえ女子のレッテルトークもね、ときにはカチンとくるのよね。

。。。。だれもが子育て放棄してるわけじゃない。
ときに人前で恥ずかしいことがあっても、真剣にそのことに向きあって、恥ずかし思いをしながらも戦っている親だっているってことを知っていてほしい。

今日、叱ったからといってその場で結果が出るほど子育ては簡単じゃない。いつも血を流しながら戦ってる。いつ好転するかも見えないまま。

レッテル張るのは簡単なんだ。
何かのせいにして鼻で笑って世間話にするまえに、考えてほしい。


でも徹夜組にならんでるジャニファンの高校生の親みたいに、あきらめちゃダメなんだよ。

いくつになっても、過保護といわれても、子供とむきあって血を流すことを放棄しては親としては駄目なんだと思う。



「何言っても、どうせ聞かないから。任せてます(放置してます)。」

これをいってしまった瞬間に親であることを放棄してるのだと。